第0回釣行記(ソウル釣りクラブ設立記念特別寄稿)BY二流三


2005年6月4、5日


なんで釣りができないんだろう?韓国は釣りという遊びはないんだろうか?

韓国へ着任してから、はや3ヶ月あらゆる方面へ手を回していた二流三は大きな壁に突き当たっていた。
それでも飲み会や会う人のすべてに海はどこ、釣り好きですか、私の趣味はつりです、の決まり文句を通訳を介して懸命に伝えていた。
その努力は突然実った。同僚の友人につり好きがいて、1泊かけて釣行を企画してくれたのだ。早速、友人を誘ってでかけることにした。

この友人とは小、中、高と同級生であり、2人してソウルの道端ですれ違った時、世いの中には似た人間がいるもんだ、、、との思いでそのまますれ違った仲である。
のちのほの字会長であった。 もう一人、釣行の2,3日前、「うちの会社で釣りの企画があるとのこと、聞けば二流三も一緒とか」の電話がはいる。
仕事での面識はあったが、さすがに初対面で釣り好きですか、とは聞けずにいた、のちの名コック長2℃であった。

この3名に加え、韓国人4名とともにインチョン先にあるヨンフン(霊興島,영흥도)島へいざ初陣。
なんでも体長30〜40Cmあるウロとかいう魚がつれるらしい、とのこと。
針は2本張りでとんでもない錘をつけて、餌はドジョウをつかうとのこと。
それ以外の情報は一切なし、誰がいくかもわからない、どこにいくかもわからない。

いいんだ、とにかくつりに行くんだ!当クラブのDNAが誕生した瞬間であった。
結果だが2℃、二流三がメンバー中唯一ウロをGET。
ほの字については武士の情けで聞かないでやってほしい。



船長があまりにひどい釣果を見かねて、海の上で漁船からアンコウを譲り受け、昼飯とする。
当クラブのDNAに虚弱さが芽生えた瞬間であった。



その後、まずは足だ、情報だ、と3名で気勢をあげ、のちのC&E、ビギを釣り上げ、当クラブの骨格を作ったのであった。
〜第1回釣行記へとつづく。